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| 自分の子どもに食べさせたい豆腐をつくればいい。それに気づいて以来、コツコツと積み上げてきた“いしかわ流”の価値観を、21世紀「マインドの時代」にあるべき日本の農業から経営者像に至るまで、さまざまな観点から紐解きます。 |
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豆腐のことを調べたら、第二次世界大戦を境に豆腐はガラっと変わったことがわかった。「戦前の豆腐はおいしかった」と昔の人はよく言うけれど、僕のじいさんは答えを残さずに死んでしまったから、その作り方についてはよくわからなかった。調べてみると、満州大豆をルーツとする国産大豆を使っていたようで、それが戦後になると、アメリカ大豆に変わる。同時に、一番大きく変ったのは凝固材で、昔はニガリを使っていた。実は、町の豆腐屋さんのほとんどは、スマシ粉を、つまり硫酸カルシウムを使っている。豆腐は味がない、と言われる原因はそれ。一方、ニガリを使うと、甘くて美味しい豆腐ができる。ただ、難しい。
戦時中に豆腐が変わったのは何故か。実は、ニガリは、飛行機のボディ用合金の反応材に使われていた。ということで、軍の統制品になってしまった。でも、豆腐は作りたい。それに、豆腐は軍部の推奨商品だった。豆腐は水で大きくなるし、オカラが出て、それも食べられるから。納豆なんかは膨らみ方が少ないということで、製造禁止になったらしい。それで、ニガリの代わりに使ったのが、硫酸カルシウム。要するに、石膏。軍需工場では鋳型に石膏を使っていた。鋳型が欠けて使い物にならなくなると、それを細かく砕いて、代用ニガリとした。そうすると、たくさん作れるわけで、戦時中ということもあって、軍の統制のなかで広がった。戦後幅員された人たちは、仕事がないと豆腐屋になったから、戦前から戦後にかけて豆腐屋は3倍に増えた。そのときに使ったのがスマシ粉で、それが普及してしまい、戦後50数年経っても当たり前のように使われている。
(・・・つづく)
●第13話は「たまたま受けた地元マスコミの取材」についておおくりします。 |
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